「私は私のために生き、あなたはあなたのために生きる。
私はあなたの期待に応えて行動するためにこの世に在るのではない。
そしてあなたも、私の期待に応えて行動するために
この世に在るのではない。
もしも縁があって、私たちが出会えたのならそれは素晴らしいこと。
出会えなくても、それもまた素晴らしいこと。」
(英訳)
“I do my thing and you do your thing.
I am not in this world to live up to your expectations,
And you are not in this world to live up to mine.
You are you, and I am I,
And if by chance we find each other, it’s beautiful.
If not, it can’t be helped.”
この「ゲシュタルトの祈り」を知ったのは、
諸富祥彦氏の人間性心理学のワークショップに参加した時だった。
もう20年近く前のことだと思う。
このワークショップで初めてロジャーズのクライアント中心療法や
ジェンドリンのフォーカシング、フランクルの実存分析などを学んだ。
こう書くと、何か小難しい学問を勉強していたように聞こえるが、
この人間性心理学のテーマは「自分らしく生きる」だ。
そのために、自分自身のこころの深いところにあるメッセージを聞く、
というようなワークを色々と行っていく。
ちょっと怪しげに思えるようなものもあったのだが、
とても興味深いワークが多かったと記憶している。
そしてこの「ゲシュタルトの祈り」は、
パールズのゲシュタルト療法で使われる「祈り」として紹介された。
初めて聞いた時、何かしら救われる思いがしたのを覚えている。
当時は仕事のことや家族のことで思い悩む日々だった。
長いトンネルから抜け出す方法はないものか、と模索していた。
そんな時期に出会ったのだった。
この「祈り」の言葉は言う。
「私は私、あなたはあなたです」、と。
一見突き放すように聞こえるけれど、これは、
すべてをあるがままに受け入れることの大切さを伝えている。
自分の不幸を嘆いたり、誰かに責任転嫁をしたところで
現実は何も変わらない。
ならば、あるがままの今を受け入れて、
抗うことなく、降参してしまおう。
その時、眼の前に立ち現れてくるものは何だろうか。
それは、自分の想像を遥かに越えたものなのではないだろうか。
そんなことを考えさせてくれる言葉だった。
久しぶりこの言葉に触れたくなったのは、
気づかぬうちに心が疲れていたからなのかもしれない。