英語教師として34年間を過ごし、
4月から日本語教師を目指して一歩を踏み出した。
つくづく、私の人生と語学は切り離せないものになっている。
これまで、英語を教えるのと同様、英語を学ぶことにも
随分時間とお金をかけてきた。
そもそも大学時代の専攻は国際関係論、教育も英語も門外漢だった。
どちらかといえば、学生時代は英語に苦手意識を持っていた。
だから、指導技術を磨くだけでなく、自分の英語力をあげることも
実は教師なってから本気で始めた。
ラジオ英会話、通信教育、英会話教室、オンラインレッスン、などなど。
本当に色々なことをやってきた。
今は中級者以上のレベルは間違いなくあるだろう、と思う。
だがしかし、上級者レベルへの道は果てしなく遠い。
そして、実は今だに自分の英語力に自信がもてない。
退職以来、英語を話す機会がなくなり、最近、危機感を感じる。
それはさておき、昨日、こんな言葉にはっとさせられた。
「言語とは、身振り、話し方、話の展開までを含めて言語である」
「テレビの語学講座は、番組自体の構成・台本・演出すべてが
日本語のリズムになっている。ネイティブが作ったら決してこうはならない」
「言語は実践がすべてだ」
これは、20以上の言語を独学で習得した、ノンフィクション作家の
高野秀行が語学について語った中の言葉だ。
言語を学ぶとき、言語を教えるとき、その言語だけに注目してしまって、
それを話す人達やその文化など、意外と見落としてはいないか。
実践を念頭に置いた言語学習、言語指導でなければ、
実践で通用するようにはなかなかならない。
よく考えれば至極当たり前のこの事実を
常に念頭に置くべきなのだ、といことを改めて考えさせられた。