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「賢い」ということ

最近よく見るYouTubeチャンネルに

「ゆる言語学ラジオ」というのがある。

30前後くらいの二人の男性が

「ゆるく楽しく言語の話をする」というのが

チャンネルの趣旨である。

「象は鼻が長い」論争からソシュール、チョムスキーなど、

コトバに関する様々な興味深いテーマについて語る。

この二人、片方は慶應大理工学部卒の言語の素人、

もう片方は名古屋大学文学部卒の言語を専門に学んだ玄人、

という取り合わせだ。

その二人がやりとりが絶妙におもしろく、

とっつきにくい言語学のテーマを実に楽しいものにしてくれる。

二人のやりとりがおもしろい理由は、間違いなく、二人の賢さにある。

難しいテーマをわかりやすく話す能力、小気味のよい切り返し、

豊富なボキャブラリー、など知能の高さが端々にうかがえる。

それなのに、「偏差値の高い学校出てます」という嫌味な感じがない。

よく、やたらと難しいことをまくしたてて、

知識のあることをひけらかすだけの人がいる。

聞く人が置いてけぼりになってもおかまいなし、という感じだ。

こういう人の話は本当につまらないし、聞くのが苦痛でさえある。

難しいことを難しく話すのは簡単だ。

難しいことを簡単に話すにはそれなりの知性とテクニックが要る。

「ゆる言語学ラジオ」の二人は、なんなくそれをやっている。

そこにとても好感が持てるのである。