私が勤めていた中学校ではおかしな指導がいくつもあった。
例えば、体育館などで集会を行う時にはこんな具合にする。
まず体育館へ入場する前、いったん外で二列に整列させる。
そして、服装のチェック。
さらに、整列に際しては横の二人がきちんと揃うようにさせる。
あるいは、集会時に床に座らせる場合、自分の荷物はみんな
自分の右側に置かせる。
こんなことを教師は大真面目に指導する。
そして、これはごく一部だ。
生徒たちは素直に従っていたけれど、内心どう思っていただろうか。
教師にしてみれば、何百人もいる生徒たちを効率よく動かすため、
こんな「指導」をするわけだが、どう考えても変だ。
そもそも教育の現場に効率を求める意味は何だろう。
将来の「みんな同じ顔をした、物言わぬ労働者」を育てるため、
そんな気がしてならなかった。
生徒たちを思考停止の状態にして、それを「指導」と称する
同僚教師にほとほとうんざりした。
そのことに反論する気力はもはやなかったし、
情けないことだけれど、同調圧力には抗しがたかった。
そして恐らく、日本中のほとんどの学校で
似たりよったりの「指導」が行われている。
もとより教師たちに悪意などなく、よかれと思ってやっている。
今、あの世界から距離を置いて改めて、
いかに学校が時代とずれている場所かを思わずにいられない。
今、学校や教育の現場が抱える問題の根っこには、
こうした時代感覚とのずれがあるのではないだろうか。
教師にとっても生徒にとっても本当に不幸なことだ。
願わくは、教師も生徒も、いらぬストレスから開放されて、
本当の意味での教育が行われる日がいつか来てほしい。